いまだからこそ語りたい。神おっぱいと呼ばれる芸能人。


華やかでキラキラしたテレビの世界にいる一流芸能人。一言に“芸能人”といっても“一流芸能人”と言えるのはごく僅か。街中などで芸能人を見つけたり、見かけたりするとラッキーな気持になり「今日はいい一日だったな〜!」なんて思ってしまいますよね!

遠い世界にいる一流芸能人の中でも“おっぱいが見れる芸能人”がこんなにもいるとは、あなたは知っていたでしょうか!?

ここではそんな一流芸能人を紹介しよう!

まずはこの人・・・

宮沢りえ




1991年に朝日出版社から発売された宮沢りえのヘアヌード写真集『Santa Fe』。撮影したのは日本を代表する写真家、篠山紀信。現在では当たり前になったと言っても過言ではない「ヘアヌード解禁」の道筋を作った作品。発行部数155万部は今も写真集としては世界記録を保持しています。

当時の宮沢りえの年齢はなんと18歳!まだお酒もタバコも吸えない未成年!

今のAKBのようなグループの人気が宮沢りえ、一人に集中してるくらいのトップアイドル。テレビでは学生や清純派の役もこなしていた彼女が人気絶頂の中、突然、ヌードに!

撮影した篠山紀信はヌード写真集の経緯を語っている。『1991年の4月に勅使河原宏監督の『豪姫』の撮影現場にりえを撮りに行ったとき、りえママ(当時、マネジャーでもあった)と立ち話になって、「りえちゃんも18歳になったし、きれいなうちにヌードでも撮らなきゃね」と言ったわけ。僕としてはお世辞というか挨拶のようなもので、断られることも承知の上だった。ところがりえママが手帳を開いて「可能性があるとしたら連休明けかしら」と言い出した。まさか撮れるなんて思っていないから驚いたよ。

ところがりえママが手帳を開いて「可能性があるとしたら連休明けかしら」と言い出した。まさか撮れるなんて思っていないから驚いたよ。』


撮影場所となったのは写真集のタイトルにもなったアメリカ合衆国のニューメキシコ州北部に位置する地名「Santa Fe」。

撮影初日はほぼ着衣のカットだけだった。その日の撮影を終えてポラロイドの確認していたとき、りえママが篠山紀信に「こんなものを撮るためにサンタフェまで来たんじゃないわよ!」と怒鳴った。
普通なら事務所のマネージャーが現場でセクシー過ぎる撮影をしないようカメラマンに注意するのは当たり前。しかも、りえママは宮沢りえの実の母。
そんな人物がこんなに起こるとは…。

そして、2日からヌードの撮影が始まった。

篠山紀信が「じゃあ脱いでみようか」と言うと、拍子抜けするほどあっさり脱いだと言います。

しかし、近年になって篠山紀信が宮沢りえに当時のヌード撮影の事を聞くと「私は(脱ぐことを)知らなかった」と言っていました。

宮沢りえが当時、ヌードになったキッカケをりえママの『ヌードは美しいときに撮るべきだ』と言う言葉に納得したとの事。



2014年に「児童ポルノ禁止法」が制定されたとき、撮影時点での宮沢りえは「まだ17歳だった」という話が出て国会でも議論に!しかし、撮影した篠山紀信は当時の宮沢りえは「18歳だった!」と言い切っています。
『サンタフェ』は販売戦略にもインパクトも!写真集の発売1ヵ月前(10月13日)は新聞に「全面広告」を掲載。
朝、新聞を開いたらいきなり「宮沢りえの裸」が載っていた。
出版社には30万件以上の問い合わせが殺到して、電話がパンクするほど!
新聞広告を提案したのもなんと、りえママのアイデアだった。「やるなら派手にやったほうがいい!」と言う彼女の考えだった!

菅野美穂




近年ではNHKの大河ドラマや『働きマン』『大奥』など、幾多の人気作品に出演し女優としてのイメージが強いがデビュー当時は清純派アイドルだった。

中学3年生の時にテレビ朝日のバラエティ番組『桜っ子クラブ』の番組内ユニット「桜っ子クラブさくら組」のオーディションに合格して芸能界デビューを果たしました。

当時の菅野美穂はアイドルでありながらも水着姿さえなく
清純派アイドル女優として大人気!

そんな彼女が突然、写真集を発表!

アイドルによくある二十歳の記念に出される写真集かと思ったら、それはヘアヌード写真集だった!タイトルは『NUDITY』が1997年に発売された。



当時、清純派アイドルの菅野美穂がヌードになるということで世間に衝撃を与えた!
新宿の紀伊国屋書店では開店前から徹夜組を含めて約三百人の行列ができたほど!初版10万部は即日で完売! 最終的には80万部を超すベストセラーに!


その後、写真集の転載を無断でスポーツ新聞や習慣雑誌等が行ったことが要因となり記者会見を行う事に!
この記者会見で事件が起こった。その発端は記者からのこんな質問。
「写真集を出したとのことですが、そのことについて友人などはどのように思われていますか?」すると彼女は両手で顔を覆いながら10分近く号泣したのでした。この姿にヌード写真とは別の衝撃を世間に与えた。


それから20年近く時が流れたある日、雑誌のインタビューにて菅野美穂が当時の事を回想する。

会見での涙は「家族や友達が認めてくれたのが嬉しかったんです。そのことを話そうとしたら、会見でつい涙してしまいました。」と答えました。
世間の憶測についても言及しており、ヌードになったのは「仕事をしている自分と普段の自分のギャップを感じており、本当の自分を撮っておきたいと思った」からとも答えました。

写真集発売直後の林真理子との対談では、本当の自分になることの大切さを挙げて「自分からファンの方が求めるものを追いかけては自分がなくなって辛くなると思う」と胸中を明かしていました。
当時世間が抱いていた清純派イメージが嫌だったのでしょうか。しかし結果的、このヌード写真集以降『愛をください』(2000年 フジテレビ系列)など幅広い役を演じているし、バラエティで度々見せる自由奔放な姿は多くの人が知るところだ。

2013年には映画の共演がきっかけで知り合った俳優の堺雅人さんと結婚し、第一子を出産されました。妊娠・出産を機に仕事をセーブしていた菅野さんですが、NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」で、主人公の母役とナレーションを担当。劇中では病弱な母親役を熱演した彼女。ブランクを全く感じさせない、涙を誘う演技はさすがの貫禄を感じさせました。

テレビ番組に出演した際、MCの女性アナウンサーから「10代後半から20代前半にかけては辛い思いもされていたそうで?」と問われ若い頃は10代にして売れっ子女優となってしまったが故の葛藤と戦う日々を過ごしていたことを明かしました。

「周りの友達は自分の10年先を考えて受験勉強とかしてるのに、私は明日のセリフのことで頭がいっぱい。仕事に恵まれて、すごくありがたいな、という気持ちがある反面、人に見られることがこんなにもストレスなんだって分かって。インタビューを受けたりした時に、本当の自分と”役を演じる自分”とに剥離があると感じる時があった。」

と答えた彼女。そして、続けて

「学生の頃は、学校に行けば本当の自分に戻れるってゆうのが、自分にとってすごく大事だったんです。だから(高校を卒業した)19歳の頃はやさぐれちゃって、その時の精神的なねじ曲がりみたいなものが、私写真集とかやっちゃってるんですけど、そういうのに繋がった気がします。好きなことだけじゃなくて、もっとタフになれることをしなきゃ、と悩んでいる時だった。」

と当時の自身の心境を回想しました。

おっぱいを出すキッカケは色々あれど、共通しているのは現状に満足しない“一流芸能人”が成せる技!結果的に本人が一皮も二皮も脱ぎさり成長した姿に世間は翻弄され魅了される。